改めてtwitterの立ち位置を考えてみると、というのを見て、「意識可視化エンジン」というところになるほどと思い、"誰かに伝えたい"
というよりは
"自分のなかのもやもやや浮かんだものを吐き出したい"というイメージが強い。
「意識可視化エンジン」
とでもいうでしょうか?
-マーケティングツールとしてのtwitter
人と人とがコミュニケーションを取る手段について、つらつら考えてみました。
テクノロジーの発達とともに色々とコミュニケーションのためのツールも進化してきたわけですが、ざっくりと追ってみると、
対面
↓
手紙←メディアの登場(伝達コストの肩代わり)
↓
電話←空間的制約解放(即時性の獲得)
↓
メール←時間的制約解放(非同期コミュニケーションの実現)
↓
ソーシャルメディア←人脈の壁を開放(セレンディピティの付与)
↓
twitter←意識的制約の解放(コミュニケーションの意味範囲の拡張)
みたいなことになるのかなぁと。
あまりにざっくり&恣意的過ぎて、twitterもソーシャルメディアだろ、とか、そもそも整理の仕方がおかしいだろ、なんて突っ込まれそうですけれど(笑)
その辺の進化の整理はまたじっくり考えるとして、注目すべきはタイトルの件です。
仮に頭の中身そのものをひとつのオブジェクトとして考えると、どんどんエントロピーが増大しているではないですか。
当たり前ながら、こんなところにも宇宙の真理的法則が働いているんだなぁと感心してしまった次第です。
このまま行くと、エアタグなどのARや、ライフロギング、フィジカルコンピューティングなどの進化によって、無意識的制約の解放が起こってくるのでしょうかね?
そしてそのうち、物理的に自分と他人、主体と客体の意識が一体化して(頭に埋め込んだ電極から電波飛ばし合うとか)、人類総体としての超効率化、最適化が実現。
人類は全員で一つの生き物みたいな展開になるんでしょうか。
なんだか蟻みたいですね。愉快愉快。
最後の方はもうSFですけど、コミュニケーションはどんどん流動的な複雑系に向かっていますね。
僕の頭も今、ビールによってどんどん流動的で複雑な感じになってきているので、しらふの時にもう一回考えてみようかなと思います。