2014/12/31

2014年振り返り

今年もみなさまありがとうございました!
仕事が大きく変わった年だったので、ほんといろいろ変わりました。

「自分がやりたいこと」と、「やらなければいけないこと・求められること」が「テクノロジーを駆使してなんかつくる」という方向でばっちり一致したため気持ちがすごく楽になった一年でした。

おかげで、来年は「できること」のレベルをもっとあげていくというシンプルな目標となっております。

お世話になった皆様、ご迷惑おかけした皆様、たくさんいると思いますが来年もお付き合いくだされば幸いです!
一緒に何かできそうな方とは、ぜひなんかできればと。

ということで、今年も一年ありがとうございました。来年も宜しくお願いいたします!


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以下、自分用の振り返りメモなんであんま読む用じゃない。


■ 1月

退職が迫ってたため仕事は全然忙しくもなく、ひたすらプログラミングしてた気がする。C でネットワークとかファイルシステムの簡単なやつを書いてた気がする。
今思えば、もっとフロントエンドのこととかやっとけよと思うけど、低レイヤーのことをやってると、世の中の仕組みがわかる感じがしてとても好きだった。


■ 2月

AID-DCC 入社。晴れてプログラマとなる。

実務経験0だし、前職でマーケとかディレクターとかの経験があるしで、流されやすい自分の性格からして、プログラマやりたくてもだんだんとディレクターとかプランナー業務に流されちゃうんではと心配だったんだけど、会社の人達みんながプログラマとして迎えてくれてすごくうれしかったです。

最初の実務は Trident の Focus
アンリアレイジとコラボして携帯電話の電波を通さない服をつくるというプロジェクト。

いきなりカナダの案件(日本でのリリースはない)で、打ち合わせ時間やリリースの時間が深夜か早朝だったり、法務関係が日本と全然勝手が違うみたいで揉めてるのを見たりと、なんかすごい会社に入ったなーと思った。

研修期間に、お手伝いしたとも言えない程度の、ウェブアプリのスマホの動き周りを実装。実際に自分で書いたものが世の中に出て行くのは不思議な感じ。
CoffeeScript も Sass も Grunt もあらゆることが初めてだったのですごい勢いでリファレンスとか見て調べまくる。

ちなみに、この案件は Party NY との仕事だったため、直接のやりとりはなかったものの、あこがれの Qanta さんとの仕事となりテンション上がりました。


■3、4月

提案ものとか参加しつつ、5月リリースのポカリの実装を主にしてた気がする。


■5月

大塚製薬ポカリスエットのLuner Dream Capsule Project リリース。
ポカリ缶を模したカプセルにみんなから集めたメッセージを入れて月に届けるというプロジェクト。
スマホを実際に月が出てる方向に掲げると月へ飛ばすメッセージを送れるというウェブアプリ部分を実装。

入社3日目の打ち合わせでいきなりモックをつくることになり、やってみますと言ってみたものの、ほんとにできるかわからずググりまくりの末、数日後なんとか完成。

その流れで本番実装も担当したのだけれど、通常のウェブではなくて、デバイス API バリバリかつ 3D ということで全部が初めて過ぎてまずはプログラミングにおける 3D 表現って何?ってとこから調べた。
そして直前までほんとに実現できるのかハラハラしつつ(Android があそこまでバラつきあるとは知らなくて追い詰められた…)、"クォータニオンを使うのじゃ…" という師匠の教えもあり、結果としては、Android でも iOS でもわりとぬるぬる動くものが作れてよかったよかった。

この案件から、「できるか不明だけど、たぶんできそうだからゼロから調べつつやってみる」っていうエンジニアとしての基本的な態度が身につく。
「答えがない」っていう状態にあんまり不安を感じなくなった。それを自分でつくっていくっていうのがエンジニアなのかなーと。

その後、継続的に更新作業が発生しているのだけれど、その部分は引き継いで今もちょこちょこやっている次第。レスポンシブ&リキッド&多言語な構成なので、いろいろノウハウ身につけられた。


■6、7、8月

提案ものとか参加しつつ、9月リリースの Yahoo の制作を主にしてた気がする。


■9月

Yahoo!JAPAN の Trend Coaster リリース。

ウェブサイトの PC の方を実装。あとブラパネも作成。
一人でサイトをゼロから作ったのはこれが初めて。動的なサイトだったので、見た目と動きの表の部分だけだったけれども、設計の大切さを学ぶ(あとから修正しようと思っても超大変なことを知る)。
そして、触ることはないだろうと思ってたフラッシュも初めて触った。adobe のチュートリアルからやりました。フラッシュ簡単に動かせて楽しい。

ほんとはコアコンテンツの部分も触りたかったのだけれどまったくのスキル不足で叶わず。悔しい思いをしつつ、代わりに周りのことでできることにはなんでも手を上げていった結果、電気だったりハードウェア運用だったりのノウハウが溜まった。そして、全現場の設営に参加することに。これはこれでとても良い経験だった。

次こそはこういう新しいことするような案件で、コアコンテンツをちゃんと作りたい。


■10月

提案ものとか参加しつつ、11月リリースの Menicon の制作を主にしてた気がする。


■11月

Menicon のデビュー学園をリリース。

ウェブサイトのフロントエンドを実装。
これまでの集大成的に、身につけたノウハウを色々活かした。
コードが設計的にも書き方的にも汚いという悩みがあったので、キレイに書くという裏目標があったのだけれど、我ながらなかなかキレイに書けた気がする。(CSS はまだなにが良いのかよくわかってない)

ここにきて、こういうシンプルな構成のサイトをできたのはよかった。
中長期的に続いていくサイトなので、人気が出るといいなー。

裏側の CMS 的な部分やタスクランナーでのフレームワーク的な部分はテクニカルディレクターのライオンさんが実装してくれたのだけれど、モダンな技術にあふれており大変参考になった。モダン。


■12月

Eye Play The Piano リリース。

ウェブサイト実装。このときは先輩に見てもらいながら自分で AWS のセットアップもした。(っていっても Root53 で DNS 設定して S3 に静的コンテンツ置いて EC2 から nginx でリバースプロキシ貼る程度の簡単なやつだけど)
さくらの VPS で CentOS いじってたので、頻繁に「これ進研ゼミでやったやつだ!」ってなった。やっててよかった公文式。

このプロジェクトに関しては、ウェブの実装がうんぬんではなく、上肢障がいのある人が、少しでもピアノを演奏すること、音楽を楽しむことができるようにとみんなで進めていき、立ち上げられたものだったので感慨深かった。

これから全国の特別支援学校に広げていこうとしているので、賛同してくれた方がいましたら、寄付していただけるとうれしいです。

寄付ページ(Just Giving)


■まとめ

振り返ってみると、アウトプット自体の数はとても少ないけれど、一個一個おもしろいプロジェクトに関わらせてもらって、各案件でものすごいたくさんのことを吸収できて恵まれていたなーと思います。

いきなり経験0からのプログラマでほんとにやっていけるのか心配ではあったけれども、振り返ってみればなんとかなるもんですね。というか、5月のとこでも書きましたが、エンジニアという仕事自体がわからないことをゼロから切り開いていく仕事だと思ったらなんとかなるっていうのは仕事そのものだなーと。

そして、振り返りの内容が仕事の内容のみになってますけど、それは仕事の実装&技術を身につけるための活動しかしてなかったから…うっ。
毎案件初めてのことばっかりだから必死。ほんと必死。たまの息抜きは漫画読んでた。


来年は仕事にかぎらず、アウトプットを量、幅、質にわたって強化していきたい所存です。
もっといいものつくるために、「できること」のレベルをどんどん上げていきたい。
実務でもブラウザ外のやつをそろそろぶっこんでいきたいですね。はい。

ということで、改めまして、今年も一年ありがとうございました&来年もよろしくお願いいたします!

よいお年を!

2014/02/11

約7年間ありがとうございました!

ということで、2月7日(金)を持ちまして、2007年に新卒から約7年間勤めた大広を退職しました。

最終的には大きな裁量を与えてもらい、とても自由に仕事をさせてもらいました。
そんな恵まれた環境でしたが、次第に自分の中でテクノロジーを活かしたアイデアやクリエイティブを仕事にしていきたいという想いが膨らみ、より特化した環境に身を置きたいと思うようになったことから、今回の退職となりました。

事前にご連絡できず、FBなどでのご報告となってしまった方々もたくさんいましてすみません。

以下、自分のための記録的な感じなので超長いですが、これまでのこととか思い出話。

思い返せば大学時代、機械工学科というところで医療用ロボットを作る基礎研究をしていましたが、大変な落ちこぼれでした。
年間2単位しかとれなくて留年したり。
やがて就職活動が始まり、学科の友人たちが名だたる大企業に推薦で就職していく中、このまま車や、航空、ロボなどの分野に進んでも自分はやっていけないだろうと思い、本屋に「業界研究本」を立ち読みしに行ったのが広告業界に進む始まりでした。

とはいっても、当時の自分は広告業界というものがあることをその時初めて知ったくらいで、実際に何をしている業界なのかは全くわからないまま、

「困っていたり何かを伝えたい変えたいと思っている人たちがいる」
「その人達のためにルール無用で課題を解決する」

というところがなんだか面白そうという程度で志望しました。
会社説明会やOB訪問なんかも一切行かなかったので、面接の時も広告の知識が全然なく、「好きな広告は?」と聞かれてもうまく答えられず、自分の研究の話や好きな本の話をしていた記憶があります。
そんなナメた就活生でしたが、幸いにも大広に拾っていただけました。

それだけゼロから始まった僕ですが、追いかけても追いかけても距離が縮まらない優秀な先輩方に色々なことを叩きこまれ、背中を見て、拙いながらも仕事をしていると言えるようなところまで成長できました。

その過程で、もともとインターネットが好きだったこともあり、次第にインタラクティブなクリエイティブの分野に興味が移っていきました。メイカーズ・ムーブメントやフィジカル・コンピューティングといった流行りも手伝い、インタラクティブな分野はブラウザを飛び出し、ますます面白い分野になっていき、どんどんハマっていく日々。

広告業界的にも、AKQAのイナモトさんが「これからの時代は "ART & COPY" ではなく "ART & CODE" だ」的なことを言っているように、テクノロジーを理解して扱えることの重要性が認識されてきて、日本でも先進的なチャレンジをしているところが増えていきました。

そんな折、一番の転機というか、もっとその道に進んでいきたいと思ったきっかけになったのが、昨年の FITC TOKYO ザックメモカイルに会ったことでした。
(余談ですが今年の FITC TOKYO は、来週2月15、16日なので、みんな行きましょう!)
テクノロジーとアートがすんごいレベルで融合しているのはもちろんですが、実際に話しているところを見て、彼らのテーマに向かい合う姿勢や楽しむ姿、作品の周辺にある考えに非常に衝撃を受けました。

特にザックの "Do It With Others" というコンセプトや、 "more poetry, less demo" というモットーは、本人の人柄と相まってすごく腑に落ちました。

確かに、代理店の中で、プロデューサーやディレクターとして実現していくという方法もあったのかもしれません。
が、やっぱりアイデアと実装は不可分で、手を動かせないのにアイデアだけで勝負できることはないと思っているし、何より現場がとっても好きです。
これだけやりたいことが明確になっているのだから、自分の想いに中途半端なまま仕事をしていくのもとても失礼な話だとも思いました。

そうして、FITC の後しばらく悩みましたが、新しい環境に身を移すことを決意し、今に至るという感じです。

大学時代はまったく興味を持てず、無理だと思って進路変更をした分野が、これからの仕事に重要なスキルだったとかすごい皮肉な話だな〜っと思います。今考えても最先端なことしてたのに何も身につけなかった……。人生スムーズには行かない。


で、次の行き先ですが、縁あってKatamari Inc / AID-DCC Inc というところで働くことになりました。
30歳オーバー制作実務未経験という何もない自分を拾ってくれた器のデカイ会社です。

大広に入った頃のように、またゼロからのスタート(そして年いってる分、ビハインドはさらに大きい)ですが、
逆に言えば、それだけ伸びるスピードも伸びしろも大きいと信じて頑張ろうと思います。

まずは、しっかりと実務経験を積むこと。そして、今後の大きな(ほんとに大きな)目標としては、オリンピックの演出に携わること、賞狙いで仕事をするのは本質的ではないと肝に銘じつつも、アルスエレクトロニカの舞台に立てるような、意義のあるモノを作ることができたらと思います。


というわけで、ほんとうに多くの方にお世話になりました。ありがとうございました!
何よりも、最高な人たちに出会えたことは自分の人生にとって大きな収穫だったと思います。
遠くに行くわけではないので、今後は仕事で恩返しをしていければと思います!

次の職場はすぐに始まるのですが、会って話したい方もいっぱいいますし、
ぜひぜひ飲み行ったりしましょう!

では!